1950年代,ウォードローは仲間の研究者とともに,1931年に実施した調査を再開した。このころには胴枯れ病は世界じゅうに拡大し,感染した国はアジアで8カ国,太平洋沿岸部で5カ国,アフリカで12カ国にのぼり,西インド諸島を含めた南北および中央アメリカでは22カ国に感染していた。米国もその例外ではなく,フロリダでは,バナナ栽培を始めたばかりのいくつかのプランテーションが感染し,すみやかに閉鎖された。だがおそらく,これらのプランテーションは菌の攻撃があってもなくても,いずれは失敗しただろう。なぜなら,どのケースでも,バナナ会社が適切な検疫や隔離という手順を実施しなかったことが感染を助長させていたからだ。
バナナ業界の大手企業のトップは,パナマ病のことをちゃんとわかっていたし,それがどのような被害をおよぼし,感染がどう広がるのかもわかっていた。それでも彼らは,その知識を活用して改善策をとり,事態を好転させようとはしなかった。それはまるで,ユナイテッド・フルーツ社も競合企業も,バナナ消費国と生産国の運命を大きく変えた“バナナの魔力”にすっかり惑わされてしまったかのようだった——そのため,バナナがもたらす悲惨な結果や,従来とは異なるほかの運営法には目もくれず,ただ熱に浮かされたように,次々と熱帯地方に押し入っていった。自然はそうした彼らのやり方に応酬したのだ。しかしバナナ会社の耳に自然の警告は届かなかったらしく,彼らは混迷のなかにいた。
ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.140
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