当時,東京府には私立中学校は28校もあったが,府立中学校は4つしかなかった。府立一中(東京府立第一中学校,麹町区,日比谷高校の前身),府立二中(北多摩郡,立川高校の前身),府立三中(本所区,両国高校の前身),府立四中(牛込区,戸山高校の前身)である。大森が進学したころの各中学校の入試倍率は,それぞれ6.8倍,1.1倍,3.6倍,5.3倍。この入試倍率にみることができるように,名門校は府立一中,府立三中,府立四中だった。下町の秀才校が三中で,山の手の秀才校が一中と四中だった。
大森が中学校を卒業した年の(旧制)高等学校進学者の割合を大きい順にみると,府立四中(39%),府立一中(29%),府立三中(4%),府立二中(2%)である。一中と四中は卒業生の3分の1が当時の最難関校である高等学校に現役進学している。一中と四中が神学名門校であることがわかる。大森は自宅から近い四中に進学した。
竹内 洋 (2001). 大学という病:東大紛擾と教授群像 中央公論新社 pp.28
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