そもそも,学生便覧に書いてある授業開始日よりも実際の開講日が1週間程度遅れるのは,ヨーロッパの大学の慣習にしたがったのだという説もある。アカデミック・カレンダーのDates of Termと実際に講義のあるDates of Full Termのちがいで,両者のズレの期間は教官と学生が講義と受講のための気構えをふくめた準備の期間なのだという説(小野山節「教官の開講日と授業開始日のズレ」『京大広報』557号,平成13年)である。しかし,私の京都大学の経験では,第1回目が休講になるどころか,2回目からはじまる授業もまれだった。4月終わりから,なかには5月はじめに第1回目がはじまる授業さえあった。
これは京都大学だけの傾向だけではなく,東京大学でもそうだったようだ。敗戦後の女子東大生のパイオニアであった影山裕子(昭和29年東大経済学部卒,もと日本電電公社本社経営調査室調査役)は,入学して教授の休講が多いのでびっくりした。「1年を平均すると,3分の1は休講だったように思う。休講でない時も,30分遅く来て20分早く切り上げて帰る」,と当時の休講模様について書いている(『わが道を行く』)。
だから学生は開講日の掲示をよくみる必要があった。京都大学の新学期の掲示が開講日方式でなくなった時期は,学部によってちがったようである。私の学んだ教育学部では,昭和60年に私が教官として赴任してきたときにも開講日を掲示する方式だった。私立大学講師から転任してきた私には開講日方式の告示に奇異な感じがしたことを覚えている。京都大学教育学部で開講日方式がなくなったのは平成に入ってからだったとおもう。
竹内 洋 (2001). 大学という病:東大紛擾と教授群像 中央公論新社 pp.45-46
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