私語のない(少ない)秘密が大学の講義がいまよりも魅力があったからではないことは,これまでみてきたとおりである。それでも昔の大学教授が私語に悩まされなかったのは,高等教育進学率が同年齢のせいぜい数パーセント以内という超エリート高等教育の時代だったことや,勤勉や忍耐が美徳であった時代背景によるものであろう。しかし,理由はそれだけではないだろう。なにか仕掛けがあったはずだ。案外,休講の多いことが退屈な授業の緩衝材になっていたのではないだろうか。
私にもおぼえがあるからである。よく休講する教官がいたが,また来週休講かとおもえば,せめて,開講されているときはしっかり聴いてノートをとっておこうという気になったからだ。
しかし,昔の大学に私語が少なかったもっと大きな理由は,日本の大学の授業形態が,教授が教壇でいうことをひらすらノートに筆記する「口授筆記」だったからだろう。
こういう講義形態や学問伝達については,学生を「筆耕生」や「タイプライター」「筆記労働者」に対する「講義筆記」や「筆記学問」と呼ばれ,批判されていた。
竹内 洋 (2001). 大学という病:東大紛擾と教授群像 中央公論新社 pp.47-48
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