中西は話に熱中すると,吸いかけていた煙草をよく消さないで洋服のポケットに入れて,ポケットから煙が出てしまうというほどのいわゆる「アブセント・マインデッド・プロフェッサー」(考え事に熱中して他のことをすっかり放念する教授の意)の典型だった。学問が好きな愛すべき誠実な教授だったが,とても気が弱いハムレット教授だった。ハムレットだからこそ,ひとつの派閥で筋をとおせなかったのである。慢性派閥病の経済学部の中で苦悩し,階段でたたずんでいたことも一再ならずの逸話が残っている。
そういえば昭和40年代の全共闘運動がキャンパスを席巻したときに,中西教授のような誠実なハムレット教授がよくいた。全共闘運動が勇ましいときには,全共闘運動シンパとなり,落ち目になると秩序派に変わった教官である。たしかに,あとになってそうした教授の動きだけをみると,機会主義者のようではあるが,当人の主観世界に寄りそってみれば,事情はまったく反対であった。かれらはきわめて「誠実」な教授だったから,そのときの空気に正義を感じてしまう。空気が変われば,新しい空気に馳せ参じなければいけないとおもう。誠実であればこそ状況に振り回されてしまうのである。
竹内 洋 (2001). 大学という病:東大紛擾と教授群像 中央公論新社 pp.180-181
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