こうみてくると,国家主義イデオロギーは,「共感」や「盲信」などの内面化というよりも,建前用語と建前文法として手形が切られ流通し,物象化してしまった面が大きい。公的立場の人々の同調についても受験生の試験における対応策と相同な構造がみられる。公人は,国家主義の建前尊守のために公的言説をすることを盲信者たちから強く要請される。時局柄ということで,とりあえず国家主義的言説を演説などで披露する。
ところが,公的立場の者がいったんそうした言論を口にすると,つぎは,その言説を盾に実践との食い違いを追及される。言説の同調から実践の同調を迫られる。政敵や論敵を窮地に陥れるために,こうしたイデオロギーを武器にするということもおこった。あるいはまた,皇室関係の記事に間違いがあるとでかけていき,国家主義の建前から金品をせびるというゆすり行為,また皇室の名前が入っている品物を学校に売りつけようとする暴力団の脅迫まがいの行為がはびこった。買わないのは教育者にあるまじき行為だというのである。内面化の有無にかかわらず,儀礼的・戦術的同調実践をつうじてイデオロギーはますます猛威を振るったのである。
竹内 洋 (2001). 大学という病:東大紛擾と教授群像 中央公論新社 pp.186-187
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