新手の腐敗や背信行動がときどき生じてくるのはなぜか?答えの一部は,そうした行動への罰に対する認識が時代とともに変化するということだ。政府による大規模な腐敗摘発の記憶はだんだん薄れる。腐敗活動が広まっている時期には,多くの人はそれでも逃げおおせられるんだという印象を抱く。みんなもやっているのに,罰なんか受けないじゃないかと思えるのだ。ある意味で,そうした時期に原則順守を怠るのは,完全に合理的な行動なのだ。ある時代で原則が堕落するのは,社会的な浸透の反映もある。たとえばラージ・サハが記録したように,ある種の犯罪に対する罰の可能性についての情報が,個人的な知り合いの網の目を通じて広がったりする。こうしたプロセスは安心乗数の一部かもしれない。腐敗がさらなる腐敗へとフィードバックされるからだ。
ジョージ・A・アカロフ/ロバート・J・シラー 山形浩生(訳) (2009). アニマルスピリット 東洋経済新報社 pp.56
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