専門学校や大学は,専門教育機関である。就職を控えている場所である。それに対して,高等学校は,大学までのモラトリアム期の学校だった。モラトリアム期間は,学生運動の温床になりやすい。第二次大戦後の新制大学で,学生運動が1−2年生の教養課程で活発で,専門課程に進学すると一部の学生しか関与しなくなり,沈静化したように。
しかし,左傾活動が高等学校を中心としたものであったことをモラトリアム空間・時間のせいだけにはできない。せいぜいが必要条件である。ほかならぬ左傾活動への水路づけを説明したことにはならない。マルクス主義を呼び込む文化的条件が必要である。旧制高校のそれまでの教養主義が呼び水になったのである。
マルクス主義が知的青年を魅了したのは,明治以来,日本の知識人がドイツの学問を崇拝してきたことが背後にあった。しかしそれだけではない。マルクス主義は,ドイツの哲学とフランスの政治思想,イギリスの経済学を統合した社会科学だといわれた。合理主義と実証主義を止揚した最新科学だとみなされた。したがって,マルクス主義は,教養主義にコミットメントした高校生に受容されやすかった。受容されやすかったというよりも,マルクス主義は教養主義の上級編とみられさえしたのである。
竹内 洋 (2003). 教養主義の没落 中央公論新社 pp.50
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