当時の大学生の革新政党支持は,京都大学に限らなかった。1952(昭和27)年に,慶応義塾大学政治学会で「今回の選挙で何党に投票したか」という調査をおこなっている。2年生でみると,自由党25パーセント,改進党6パーセント,右派社会党19パーセント,左派社会党16パーセント,共産党5パーセント。革新系が40パーセントであるときに,保守系は31パーセントにすぎない(『三田新聞』1952年10月10日号)。
だから,大卒を採用する企業は,いまからみれば過剰なほど赤化学生を警戒した。1950年代の入社試験問題には,「社会主義とわたしの立場」とか「イールズ声明(左傾教授学外追放に関する声明)について所見を述べよ」「吉田首相はキョウサンシュギ国に対しどんな考えをもっているか,あなたはどんな考えをもっているか」「対日講和と安全保障について論ぜよ」というような論文試験問題が出題されている。これは知識をためす試験ではない。いわんや思考力をみる試験でもない。試験という名のもとにおこなわれる思想調査である。このような就職試験がおこなわれたことは,さきに触れた当時の大学キャンパス文化からして企業が赤化学生をいかに恐れ,避けたいとおもったかの現れである。1955(昭和30)年の就職ガイドブックのなかで食料品関係の有名企業は採用方針をつぎのように書いている。「思想関係と同時に健康を重視し,入社直前にも身体検査を行なう。学問の基礎をしっかり身に着けた学生が好感を持たれ,いわゆるアプレ的な性格の持主は歓迎されない。むしろ地味な感じのする学生の方がよい」(『大学篇就職準備事典 昭和31年版』)。
竹内 洋 (2003). 教養主義の没落 中央公論新社 pp.68-69
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