地方人の東京での文化衝撃は,なにも明治時代だけのことではなかった。昭和戦前期はいうまでもなく,1960年代前半までは,地方人が上京したときには,都会の建物や人ごみの多さに「驚く」だけではなかった。都会人の言葉づかい,服装,知識,通ぶり,機知,洗練さという「趣味の柔らかい権力」に晒され,「ひけめ」を感じ,わが身を振り返り自信を失うのが常だった。
したがって,こうした時代の農村の若者にとって,高等教育に進学して,「インテリ」になるというのは,単に高級な学問や知識の持ち主になるというだけではない。垢抜けた洋風生活人に成り上がるということでもあった。インテリといわれる人の家には難しそうな本や雑誌とともに,洋間があり,蓄音機とクラシック・レコードがあった。紅茶を嗜み,パンを食べる生活があった。知識人の言説は,こうしたかれらのハイカラな洋風生活様式とセットになって説得力をもった。知識人が繰り出す教養も進歩的思想も民主主義も知識や思想や主義そのものとしてよりも,知識人のハイカラな生活の連想のなかで憧れと説得力をもったのである。経済的に貧しく,文化的に貧困な農村を「地」にして図柄である教養知が「自由な美しいコスモポリタンの世界」として輝いた。
竹内 洋 (2003). 教養主義の没落 中央公論新社 pp.174
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