わたしが教養主義の死を身近でつくづく感じさせられたのは,大学の授業で旧制高校の生活について触れ,教養主義についていくらかの説明をしたときのことである。ある学生が質問をした。「昔の学生はなぜそんなに難しい本を読まなければならないと思ったのか?それに,読書で人格形成するという考え方がわかりづらい」,という率直な,いや率直すぎるともいえる質問に出会ったときである。
わたしのほうは,旧制高校的教養主義をもういちどそのまま蘇らすべきなどという気持ちはないにしても,読書による人間形成というそんな時代があったこと,いまでも学生生活の一部分がそうであっても当たり前だ,と思っている古い世代である。「読書で人格形成するという考え方がわかりづらい」というのは,そんなわたしのような世代にはやはり意表を突く質問としかいいようがなかった。しかし,それだけにあらためて教養主義の終焉を実感することになった。
そうはいってもいまの学生が人間形成になんの関心もないというわけではないだろう。むろんかれらは,人間形成などという言葉をあからさまに使うわけではないが,キャンパス・ライフが生きていく術を学ぶ時間や空間と思っていることは疑いえないところである。しかし,いまや学生にとっては,ビデオも漫画もサークル活動も友人とのつきあいもファッションの知識もギャグのノリさえも重要である。読書はせいぜいそうした道具立てのなかのひとつにしかすぎないということであろう。あらためていまの学生の「教養」コンセプトを考えなければならないとおもうようになった。
竹内 洋 (2003). 教養主義の没落 中央公論新社 pp.237-238
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