平山雄は当時,東京にある国立がんセンター研究所の疫学部長だった。1981年に平山は,喫煙者の夫を持つ日本の女性の肺がんによる死亡率が,非喫煙者の夫を持つ女性に比べてずっと高いことを明らかにした。この研究は長期にわたる大がかりなもので,29の地域で非喫煙者である妻9万1540人を14年間にわたって追跡調査し,明確な用量反応曲線を示した。夫の喫煙量が多いほど,妻が肺がんで亡くなる率も高くなっていた。夫に飲酒癖があっても妻には影響がなく,子宮頸がんのようにタバコの煙の影響を受けるとは思えない病気についても,夫の喫煙は影響を与えていなかった。この研究はまさに疫学研究のあるべき姿を示すもので,あるものが影響を与えていることを立証し,それ以外の原因は関わりがないことを明らかにしていた。また,なぜ喫煙しないのに肺ガンにかかる女性がたくさんいるのか,という長年の難問の説明にもなっていた。平山の研究は第一級の科学であり,画期的な内容だったと現在では考えられている。
タバコ産業はこの発見を厳しく批判した。彼らは対抗する研究をしかけて平山の評判を落とそうとコンサルタントを雇った。コンサルタントの1人はネイサン・マンテル——知名度の高い生物統計学者——で,平山が重大な統計上の誤りを犯していると主張した。タバコ協会は,議論の「両側」を提示すべきだとメディアを納得させつつ,マンテルの研究を広めていった。主要な新聞は彼らの手の中で踊らされ,「非喫煙者のはつがんりすくについて科学者が反論」,「非喫煙者のリスク,新たな研究で矛盾する結果も」といった見出しの記事を掲載した。そして業界は,これらの見出しを目立たせた全面広告を主要な新聞に掲載した。
ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.19-20
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