ほかにも触れておく価値のある事例がある。それはパナマ運河だ。この運河の建設計画は,(スエズ運河の建設も指揮した)フェルディナン・ド・レセップスの指導を受けて,1882年にフランスの会社によって始められたが,黄熱病とマラリアの影響もあって変更された。1889年までに2万2000人以上の労働者がこれらの疫病に倒れ,建設はいったん放棄された。
1904年に米国政府が計画を引き継ぎ,米国の新しい指導者は軍医のウィリアム・クロフォード・ゴーガスを衛生管理責任者に任命した。ゴーガスは,昆虫がこれらの疫病を媒介するという,当時としては大胆な仮説を信じていた。ゴーガスは沼地や湿地の水を抜き,建物の周りの水たまりを除去したさらに,蚊の幼虫を油で殺し,建物を燻蒸するチームを派遣した。ゴーガスはまた,建物——特に作業員の宿舎——に網戸を設置した。1906年から運河が完成した1914年までに黄熱病の患者は1人しか出ず,1906年に1000人あたり16.21人だった死亡率は,1909年12月には1000人あたり2.58人へと激減した。ミュラーがDDTの殺虫効果を発見する31年前に,黄熱病は根絶された。マラリアは黄熱病よりも厄介だったが,多くの地域では同じような方法で抑制された。歴史の教訓は明らかだ。DDT単独では昆虫が媒介する病気を根絶できなかったが,一部の地域ではDDTをほとんど,あるいはまったく使わずに,これらの病気を抑制できた。
ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.182
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