それは200年前のことだ。現在,状況はずっと悪くなっている。ラジオ,テレビ,さらに現在ではインターネットの普及によって,正しくても間違っていても,思慮深くてもバカげていても,公平でも悪意に満ちていても関係なく,誰でも自分の意見を主張でき,その意見が引用され,繰り返されていく可能性が生じているように見える。インターネットが作り出した情報の「鏡の間」では,どんな主張も,たとえどれほど非常識なものであろうと,際限なく増殖していく。そしてインターネットでは偽情報も消えることがない。「電子的な野蛮」と,ある解説者は呼んだ。帆ばかりあって碇のない船のような環境。制御不能に陥った多元主義だ。
その結果を見るのはたやすい。米国人の3分の1は,9・11同時多発テロの背後にサダム・フセインがいたと思っている。4分の1近い米国人は,いまでも喫煙が死を招くという確実な証拠はないと考えている。そして2007年になっても米国人の40パーセントは,地球温暖化が現実に起きているのかどうか,専門の科学者たちがまだ議論していると考えている。誰が非難できるだろう。どこを見ても,誰かが何かに疑問を投げかけている。今日の重要な問題の多くは,あの人はこう言った,この人はこう言った,誰に分かるだろう,と,そんな話に矮小化される。誰であれ,混乱するのは無理もない。
ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.208-209
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