このような例として「神のヘルメット」があります。カナダの「脳科学者」であるマイケル・パーシンガー氏は,ヘルメットに磁気ソレノイドをつけて弱い磁場(コンピューターモニターから出るのと同じ程度)を発生させて,右大脳半球の側頭葉に磁場を与える装置を考案しました。このヘルメットをかぶった健常人被験者の80%以上が,「神に会った」,「亡くなった夫に会った」などといった不思議な体験をしたのです。そしてこれは右半球の意識が本来の左半球の意識に流れ込むことによって生じたのだと主張されました。この「成果」はCNN,BBC,ディスカバリーチャンネルで放映され大きな反響を呼びます。パーシンガー氏はその後,同じメカニズムで動作する携帯型ヘルメットを開発し,霊的体験を深める装置として販売しています。
いかにも怪しげな内容ですが,全く根拠がないわけではありません。脳の側頭葉にてんかん発作が生じると霊的体験や神秘的体験をする患者さんの報告は多数あり,また時に至福感に満たされる,神と出会った,宇宙とつながっている感覚が得られた,などといった報告もあります。ですから脳科学的にはあり得るお話なのです。「右半球の意識」や「本来の左半球の意識」という仮説には証拠は一切ありませんが,そのように解釈しようと思えばつじつまを合わせられる研究報告を集めてくることはできます。
「神のヘルメット」による霊的体験はその後,別の研究者の追試により否定されました。あまりにも初歩的な問題なのですが,パーシンガー氏の実験ではダブル・ブラインドで行われていません。つまり被験者は全員,神のヘルメットによって磁場を与えられていました。ですので彼らの体験は暗示によるものである可能性を否定できないのです。追試実験では「神のヘルメット」をかぶった被験者のうち半数は磁場を与えられ,他の半数は磁場を与えられていません。そしてどの被験者が磁場を与えられたのかは実験者も被験者もわからない状態で実験が行われたのです。何人かの被験者は霊的体験を報告したのですが,そのうちの半数は磁場なしのヘルメットをかぶっていたのです。もともと霊的な話を信じる傾向にあった人が,それっぽいヘルメットをかぶったことで霊的体験をしたのだと考えられます。
坂井克之 (2009). 脳科学の真実:脳研究者は何を考えているか 河出書房新社 pp.52-53
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