「前頭前野は知性をつかさどる」
このような表現は一般向けの情報発信の場だけではなく,論文や総説にもしばしば登場します。前頭前野を研究対象とする研究者たちは,前頭前野こそが脳の最高経営責任者であり,脳の活動の中で最も「偉い」領域だと主張します。そして前頭前野は,その他の脳全体の領域すべての活動を制御し,ひいては私たちの身体,思考,そして意思をコントロールしていると考えられています。おかげで前頭葉を中心に研究している私は,なんだか大事なところを研究している人ということになって,ちょっとうれしいような気もしてきます。
前頭葉が大事な働きをしていること,そして高次な思考メカニズムに必要な領域であること,また人間でとくに発達した領域であること,これはある程度以上の確からしさをもっています。ですがこれは脳の中での価値付けの基準にはなりません。研究者の中ではさすがにこのようなことはないものの,一般向けにはそれぞれの脳領域が善玉か悪玉かという見方で捉えられてしまいます。
脳の中で欲望に関係する領域である大脳基底核がよく悪玉にされます。一般向けには大脳基底核などという堅苦しい表現はあまり使わずに,原始的な脳の部分,あるいは爬虫類脳などと表現されます。ネーミングからして悪玉になっていますね。そしてこの原始的な,野蛮な,恐竜脳を制御して,文明化され,社会性をもった人間として振る舞うようにさせているのが善玉の前頭前野というわけです。
脳領域に扱いの格差が生まれると,今度はその脳領域の活動にも価値付けがなされるようになります。前頭葉がよく活動しているということは,すなわち脳の中で最も大事な部分を使っているのだからこれは良いことだ,というように説明され,皆も納得してしまうのです。前頭葉は人で最も発達していて知能にかかわる部分なんですよ,ここをよく使えば,鍛えられて素晴らしい人間になれますよ,とまでは言ってませんが,暗喩としてこのような論理が展開されていることが多いように思われます。ここでは脳領域,あるいはその働きが善悪で語られるようになっています。
坂井克之 (2009). 脳科学の真実:脳研究者は何を考えているか 河出書房新社 pp.144-145
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