また右脳と左脳についてのお話も,脳の単純化の良い例です。左脳は論理的思考に関係していて分析的な働きをするのに対して,右脳は直感的な働きに関係しており,包括的にものごとを捉える働きをする,というのが現在の通説です。そして理屈っぽい人は左脳型,直感的な人は右脳型といいます。あるいは細かい点にこだわり正確さを求める人を左脳型,ものごとを大局的に捉える人を右脳型といいます。巷では右脳と左脳と書いて,ウノウとサノウと呼ぶそうですが,脳の研究者は決してこのような妙な読み方はしません。普通にミギノウとヒダリノウ,より正確には右大脳半球と左大脳半球といいます。
モノが2つあったらその違いを見つけ出そうとするのは人の常です。ですから右脳と左脳を対比させたお話が単純化されるのは当然の人の心理ともいえます。また左右大脳半球を優位半球と劣位半球と読んできたこととも関係しているかもしれません。左脳のほうが優位でこちらのほうが大事だ,論理的で知的な脳だ,というわけですが,あまりこのような表現を使われるとそこは判官びいきといいますか,劣っていると表現されてしまった右大脳半球が実は大事なのだというお話をすることが逆にインパクトをもってきます。ここには知能一辺倒であった社会の価値観に対するアンチテーゼといったものも含まれているのかもしれません。でも右脳は直感的分析に優れているといいう表現も,類型的なものに過ぎません。
大脳半球の働きの左右差は確かに存在します。でも実際に健常人の脳においては左半球と右半球で信号をやり取りしながら手を取り合って働いています。右脳と左脳の働きの違いは十分に科学的研究の対象となるものですが,話を単純化してしまってラベルを貼り,それ以上の思考を停止してしまったのではなんの意味も見出せません。血液型性格判断と同様に読み物としてはおもしろいのかもしれませんが,少なくとも「脳科学による証拠」とはいえません。たとえば右脳訓練法にしたところで,右脳が左脳よりもよく鍛えられるという証拠はどこにもありません。右脳訓練とは,論理的思考だけでなく直感的思考の訓練もしましょうね,という表現以上のものではありません。「右脳」は脳科学用語ではなく修飾語に過ぎないと認識してしまえば,右脳訓練法そのものを批判する必要はないのかもしれませんが……。
坂井克之 (2009). 脳科学の真実:脳研究者は何を考えているか 河出書房新社 pp.155-156
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