最後にもう1つ,知能テストの重要な特性を付け加えておかねばならない。パーソナリティ・テストは,ことの性質上当然,その結果を1つの数値で表わすことはできない。オールポートにきくまでもなく,個性や人格特性は多様なものだから,因子分析その他の技法によってどんなに結果を簡約化したところで,たとえば支配性はきわめて高いが,社交性は低いのように,いくつかの特性値の組みあわせ,たかだかある類型として記述できるだけである。まして,人びとを1次元に序列化することなどは不可能である。
これに対し,知能テスト結果は終局的には知能指数というたった1つの数値によって表示しうる(と信じられている)。むろん,ウイスクのような言語性と動作性のIQをそれぞれ別々に算出するテストもあり,また,各下位テスト結果をそれなりに問題にすることもできるが,ふつうは総体としてのIQだけを指標にする。あたかも,それぞれの下位能力は結局みな同じ知性の一環にすぎないかのように扱われるのである。スピアマンは,Gという知能の一般因子を仮定したが,知能は人間の基本的かつ普遍的な特徴をなすというパラダイムが,この観念を強化している。
そうして,この点で知能検査の実用性はパーソナリティ・テストより格段に高まる。たった1つの数値によってある人の知的能力をあますところなく知りうるとしたら,これほど便利なものを人間性について他に考えうるだろうか。しかも,人間にはかの有名な「兵隊の位」で象徴されるように,人間の上下を一本に序列化したいという素朴な願望もまた根強い。偏差値競争の源泉の1つは,ここにも潜んでいる。
藤永 保 (1991). 思想と人格:人格心理学への途 筑摩書房 pp.69-70
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