このようなリストをとり上げればまだきりもなく続くことであろう。しかし,これらを一般知能因子説への決定的異論とみなすことができるだろうか。サーストンのような多因子説は,1つには因子分析の技法上のちがいからもたらされるものであり,みようによっては一般因子の下位分類ととれないでもない。C.バートやP.E.ヴァーノンらは,スピアマンの一般因子説を発展させ,たとえばヴァーノンはG因子に次ぐ群因子として言語・数・教育に関する因子,機械・空間・運動の因子の2つを分けるという階層構造を考えた。サーストンも,因子が相互に関連をもつ場合(斜交回転)のさいの高次因子という1種のGを認めているから,両者は似ていないとはいえない。その他の分類,たとえばキャテルの区別は古くからの形式対内容の別を思わせるし,これに通じる言語性対動作性知能の対立も,その意味では常識を多くでていない。これらの動きは,知性一次元という大枠のなかでの小波とみなせるだろう。
藤永 保 (1991). 思想と人格:人格心理学への途 筑摩書房 pp.74-75
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