創造過程については,なお興味深い多くの問題が残っている。創造者とは,個性的で偏狭な人間嫌いと思われていることが多いのだが,それは必ずしも当っていない。まさしく発見が成し遂げられたと信ずるとき,創造者はきわめて強い伝達の欲求を感じるという。前述したように,インスピレーションのさい,答の正しさは直観的に確信されるのだから,証明は本質的には無用な作業——というのがいいすぎであれば二次的作業にすぎない。検証は,これもすでに指摘したように,直感的な発見を論理の大道に乗せて公共化することにほかならない。いいかえれば,他者あるいは自己を納得させる作業である。このことに創造者が熱中する理由は,1つには自己確信の強化でもあろうが,より主要なものはやはり共感への熱情,ひいては超越的な普遍者への参与の感覚とでもいった動機に基づくとしか考えようがない。決闘前夜,死の危険を予感したガロアが自己の発見をなぐりがきにしたというエピソードは,たんなる名誉欲などではとても説明はできない。とすれば,創造者は,その気難しい外見の底にむしろ人恋しい共感への欲求と創造を通じての普遍化への願望を秘めているのだろうか。
藤永 保 (1991). 思想と人格:人格心理学への途 筑摩書房 pp.100
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