フロイト説はよく幼児期宿命論という批判の的になっている。しかし,筆者にはそれはフロイトの生きた時代を忘れすぎた偏りであるように思われる。フロイトはむしろ,神経症は遺伝的・生得的とするより強固な宿命論に対して1つのアンチテーゼを提出した。神経症は一種の発達障害であり,この過程を懸命に制御することができれば,また,専門の精神分析医の導きにより神経症の源泉をつきとめることができれば,救いの道が拓かれるのである。
しかし,フロイトの発達論では,肝要な年代は5,6歳までのいわゆる幼児性欲期に限られてしまう。人間を動かす根源的動力としてのリビドーは,本性上動物的・生得的なものであり,その発達の秩序も予め仕組まれた生物学的機構,現代風にいえば「成熟」によって定まる。性的欲求が一時休止する6歳くらいまでが焦点となるのはこの立場からすればしごく当然であろうし,また,リビドーないし成熟という単一次元のみを扱えば足りるので,その発達も自ら単純なものとなる。
藤永 保 (1991). 思想と人格:人格心理学への途 筑摩書房 pp.202
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