この研究は,ヘビが前進する際のくねり方やとぐろの巻き方での左右差を調べたものである。このヘビはアメリカ南東部に多く生息する種類で,たいていの時間はトグロを巻いて過ごしているらしい。ルースは30匹のヘビを対象に餌を求めて前進する際のくねり方やトグロの巻き方を1日に2回観察している。その結果,個体別に統計的に優位な左右差を示したのは3匹でいずれも時計回りを示した。左右差どちらの傾向が強いかを基準に傾向を見ると,時計回りの傾向を示したヘビが19匹で時計回りとは反対の傾向を示した個体は11匹であったという。退化した手足があるという説に従えば,右手のほうが強く,時計回りのヘビが多い傾向を示したことになり,とくに時計回りを好むヘビは成長した雄のヘビに多く,若いヘビは反時計回りの傾向を示すというものであった。雄と雌で反対の傾向がうかがえるのは交尾と関係があるのかもしれない。
この研究はヘビのレベルで個体によって運動行為に左右差が明確に存在することを指摘している点で興味深いのだが,私の関心は別なところにある。ルースの研究では1813試行が観察されている。ヘビを被験体に行動実験をするには空腹動因を誘発せねばならない。つまり,腹を空かせておいて実験をしやすくせねばならない。ヘビの行動は温度や日照時間に影響されるのでそれらを一定に保ちつつ,空腹にするために1週間の断食をさせ,給餌の際の行動,すなわち餌であるネズミに向かって進む歩み方(表現は微妙だが)を観察しているのだ。実験に用いたヘビの数と試行数から概算して約60試行を行うことになる(実際には37試行から88試行とばらついている)。したがって半年以上が実験期間となる。つまり,半年もの時間をかけてヘビのくねり方を観察したことになる。せっかちな私に,とてもできる実験ではないし,たいがいの人にとってもこの種の根気はあるまい。
私はこのような研究者も偉いと思うが,このような研究者を内包できる大学は立派だと思う。そして,そのような大学を育む国はたいした文明国だといいたくなる。これこそ文化的な社会,または文明社会であるはずの現代社会に存在する真の大学の姿であろうという思いを,強くもつからである。この件研究の結果は,関心のない人からは,「それがどうかしましたか」とか「暇な人もいるものだ」という答えが返ってきそうである。この研究成果が必ずしもすぐになにか金銭的な効果をもたらすものではない。しかし,現代人の好奇心を満たす効果はあり,本書の読者のようにお金を払って好奇心を満たそうという経済行動につながるので,長期的には金銭的な関わりも生まれないわけではない。
昨今の日本の大学に見られる,特許などの経済効果に直接的に繋がらない研究の軽視を体感する者としては,文化的でこころ豊かな知識の学府を構成する研究者も内包できる環境を保ち続けることの重要性を,ルースが行ったヘビのこの研究を読んで痛感した次第である。
八田武志 (2008). 左対右:きき手大研究 化学同人 pp.226-227
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