物事が正しいのか,また間違いなのかを判断するには,個別の事実関係をしっかり洗い直して把握するということは,とても大事なことだ。だが実は,それよりも大事なことがある。細かな「木」ばかりに目を奪われすぎて,「森」が見えなくなることがないように気をつける,ということだ。陰謀論の場合,この「個別の木ばかりに目を奪われてしまって,森が見えなくなる現象」がよく起きてしまう。その結果,やすやすと陰謀論の罠へとハマっていってしまうということが多いのだ。
陰謀論はたいてい,話の規模や設定が気宇壮大なので,全体像がもともと何だかよくわからない場合が多い。そのため,ついつい個別の事象の真実性や,つい納得してしまいそうな細かな話の筋立てなどに,壮大な陰謀論の内容全体の事実性の担保を頼ってしまいがちなのだ。
五里霧中の「陰謀論の森」の中で,いかにもそれっぽい,わかりやすそうな事象・事実なるものを目の前にポイと投げられると,急に視界が開けたような気がしてしまい,本当は何も見えておらず,わかってもいないのに,その1つの事象・事実だけで,まるで森全体が納得できてしまいそうな気持ちへと陥り,「ああ,そうだったのだ」と,ありもしない納得をついついさせられてしまうというわけなのだ。
ASIOS・奥菜秀次・水野俊平 (2011). 検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定 文芸社 pp.291
PR