映画村の歴史,御存知ですか。東京の人は知らんでしょうね。
東映太秦映画村が誕生したのは,たしか昭和50(1975)年やったと思いますから,いまから約30年ほど前のことです。
そのきっかけは,リストラですわ。
当時,テレビが急激に普及したために,映画人口が減り,それにともなって撮影所も存続の危機に陥ったんですわ。それで,どうしようかと思った時に,活動屋たちが自らの生き残りをかけて取り組んだのが最初です。
このままでは,撮影所が危ない。映画もまったく作れなくなる。なんとか,別の商売をして,その儲けた金で映画を作り続けようということになったんです。つまり,一種のリストラ対策なんですわ。
最初は東映からの60人の出向社員でスタートしたんやそうですわ。でも,大変やったそうですね。誰だって,なんや遊園地みたいなところに行くのは嫌やないですか。映画の仕事をしていたのに,左遷やから。
「活動屋による活動屋のための仕事や」と説得しまくったらしいです。
福本清三・小田豊二 (2007). おちおち死んでられまへん:斬られ役ハリウッドへ行く 集英社 pp.141
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