ある首長は,「更新投資は票にならないのでやる気が出ない」と語っていた。もちろん,冗談めかした言い方だが,筋は通っている。選挙の際に新しい図書館や保育所を作るという公約は票を得やすい。だが,古い学校や庁舎を建て替えるというのは,危機感のない人にとっては当たり前のことをしているに過ぎず,表に結びつかない。少なくとも,政治家自身がそう思っている。
これは,我々住民の問題でもある。公共投資を公約する首長や議員を当選させることで,「公共投資を公約しなければ当選できない」という誤ったメッセージを与えてしまっているからだ。
「問題だとしても,市民に知らせると動揺するので公表すべきでない」「対策がないまま発表するのは無責任だ」と語る関係者も多い。この言い訳はさらに始末が悪い。問題点は解決策と合わせて公表するのが責任ある行政だというのは,一見合理的に見えるからだ。
だが,本音は,「公表すると責任を追求されるのがいやだ」と思っているだけかもしれない。近年,民間企業では,不祥事が相次いだ経験を踏まえ,不利益な情報でも一刻も早く公表するのが常識になった。どのような理由があるにせよ,情報を知らせないことは不都合を恐れて何かを隠していると疑われても仕方がないのだ。
筆者は,「老朽化の事実を知っていながら公表せず,対応せず,結果的に住民の生命や財産が侵害されたら不作為の犯罪になる」と主張している。少なくとも,筆者は行政に対して,自分の生命にかかわる重大な情報を知らせない権利を与えた覚えはない。
根本祐二 (2011). 朽ちるインフラ 日本経済新聞社 pp.63-64
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