来日した西洋人が,日本の教育や体罰をいかにみていたかは,比較史的観点からもきわめて興味深い。ここではツンベルク以降の著名な記録を,石附実『教育博物館と明治の子ども』などを参考にして紹介してみたい。
まず,有名なドイツ人で長崎出島オランダ商館医師シーボルトの『シーボルトの最終日本紀行』(1859,安政六年)のものから。
「西洋にある様な,学校の処罰は少しもなく,その上我国の様に,先生から体罰を受けるような日本の門弟は,是がために不名誉となって恐らくはその家庭から放逐されてしまうであろうし,又学友の眼には悪人となるであろう。児童教育にあっても,少なくとも知識階級には全然体刑は行われて居ない,是がため,私は我国で非常に好まれる鞭刑を見たことがなかった」。
幕末のイギリス外交官オールコックの『大君の都』では
「(日本人は)決して子どもを撲つことはない。文化を誇る欧羅巴の国民が,哲学者たちの賢明なる注意を他にして,その子どもたちに盛んに加える,この非人道的にして且つ恥ずべき刑罰法を,私は日本滞在中見たことがなかった」。
江森一郎 (1989). 体罰の社会史 シリーズ・子どものこころとからだ 新曜社 pp.83-84.
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