人間のテクノロジーは地球物理学的な意味をもつ力で,地球全体に影響をあたえることが可能なのだろうか?まさかそいんなはずはない,と1940年当時の大半の人々は考えた。きっとそうだ,と1965年当時の大半の人々は考えた。このどんでん返しの原因は,地球温暖化について科学者が知っていることに何らかの変化があったからではない。人間が及ぼす影響に対する一般大衆の懸念が高まったのは,テクノロジーと大気の間にもっと目に見えるつながりが存在していたからだ。その1つは,大気汚染の危険に対する認識が増したことだ。1930年代,市民は工場から立ちのぼる煙を見て喜んでいた。汚れた空は仕事があることを意味していたからだ。だが1950年代になると,工業化した国々で経済が急成長して平均寿命が延びるにつれて,歴史的な転換が始まった。貧困についての悩みが慢性的な健康状態についての悩みに変わっていったのだ。医師は,大気汚染が一部の人々に致命的な危険をもたらすことに気づきつつあった。それと同時に,石炭を燃やしている工場から出る煙に加えて,急増する自動車の排気ガスが登場した。1953年に多数のロンドン市民を窒息死させた「殺人スモッグ」は,私たちが空気中にまき散らしているものが実際に数日間で数千人の人々を殺すことが可能だという事実を証明した。
スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.54-55
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