特に影響力をもっていたのはカリフォルニア大学ロサンゼルス校のグループで,そこではイェール・ミンツがもう1人の東京大学卒業生,荒川昭夫を,数学的な仕事を担当する助手として採用していた。1965年,ミンツと荒川は,スマゴリンスキーと眞鍋のモデルのように,現実世界にいくらか似た特徴をもつモデルをつくり出した。もう1つの重要な取り組みが,1964年にコロラド州ボールダーの国立大気研究センター(NCAR)で開始された。そのリーダーを務めたのはウォーレン・ワシントンと,さらにもう1人の東大卒業生,笠原彰だった。国立科学財団から資金を供給され,複数の大学からなるコンソーシアム(共同体)によって運営されたNCARは,気候モデリングのための世界有数のセンターとなった。だが,先頭を走っていたのは眞鍋のモデルで,気象局のスマゴリンスキーの研究室(のちに地球流体力学研究所と改称されてプリンストン大学に移った)のものだった。
スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.138
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