今の社会に住む者のやり切れない想いは,おそらく,小学校の5,6年生からすでに芽生える。この頃から,こういう巨大な「権力」の中で,個人の無力さを思い知らされることに起因しよう。
しかし,立ち止ってさらによく考えてみると,そういう緻密な「権力」の構造にもあちこちに「金属疲労」のようなヒビが入りはじめているのではないか。そして,そのヒビが,種々の条件で集中して現出しているのが家庭を含めた教育現場ではないか。動物を愛護し,子どもを可愛がり,狭い国土の中でお互いに気を使い合い,極力ことを穏便に済まそうとするわが国の伝統にもかかわらず,学校というもっとも理想の実現に近いはずの場において,それとは逆の営みが日々行われ,深刻化してゆく。この中で耐えている子どもや青年には気の毒だが,この矛盾の中にこそわれわれは巨大な現代社会の「権力」の「金属疲労」を実感しうるのである。
江森一郎 (1989). 体罰の社会史 シリーズ・子どものこころとからだ 新曜社 pp.260-261.
PR