長期的視点から見ると,そもそもこのようなことが政治的な問題になるのは並外れて珍しいことだった。地球温暖化は目に見えず,ただの可能性にすぎず,現在の可能性ですらなく,何十年語,あるいはそれ以上あとになってようやく現れると予想されていることでしかなかった。その予想の根拠となっている複雑な推論やデータは,科学者でしか理解できない。このようなことが一般的な激しい議論のテーマになりうるというのは,人類にとって驚くべき進歩だった。会話はいろいろな点でより複雑になっていった。これはもしかしたら,知識の着実な蓄積と,豊かな国々の一般大衆がある程度の教育を受けるようになったことのせいかもしれない(このときの若者の大学進学率は,20世紀の初めごろの高校進学率よりも高くなっていた)。安定した時代と,平均寿命の何十歳もの意外な延びによって,以前よりも人々は遠い将来について計画を立てる気になったのだ。
スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.197
PR