1980年代末期までに,情報通の人々は気候変化の問題が最も簡単な2つの手段のいずれによっても解決できないと理解していた。科学者は,心配すべきことなどなにもないと証明してくれそうにない。そして,気候が正確にはどのように変化するかを証明して何をすべきかを教えてくれることもなさそうだった。もっと研究費を費やすことは,もはや十分な対応ではなかった(いままで十分に増やされたことがあったわけではないが)。科学者たちは,優れた研究で克服できそうな単純な無知によって制限されているわけではなかったからだ。医学の研究者なら1000人の患者にある薬を与えて別の1000人にほかの薬を与えることで薬の効果を突き止められるが,気候科学者には2つの地球の温室効果気体の濃度を変えて比較することなど不可能だった。彼らにできる最善の方法は,精巧な計算機モデルを作成してガスの濃度を表す数値を変えることだ。それでは,あらゆる人々の生活をどのように改革すべきかを文明世界に納得させるための説得力ある手段とはとても思えなかった。
スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.201-202
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