「ひきこもり」という社会病理には謎が多く,現代日本が直面している困難を解明しようとする者にとって,これほど興味をそそる現象はない。欧米でも,反社会的行動に走るティーンエイジャーは多いが,日本とはだいぶ異なる。親や学校に対する反発は「行動で示す」ことが多く,怒りを爆発させたり,奇抜な服装で「自己主張」したり,騒々しい音楽を演奏して大人の眉をひそめさせたりする。自傷に走る者もいる。銃やナイフ,ドラッグがかんたんに手に入るアメリカでは,若者の暴力は日常茶飯事だ。それはまるで,アメリカ社会が求める開放性,自主独立の生神,自己表現の代償を暗黙のうちに象徴しているようだ。とはいえ,アメリカでは幼少期から個人の自由が尊重され,「自分の足でしっかり立て」といわれ,自分の人生は自分の力で切り開け,と教えられ,独創性と冒険精神を持つことが強く奨励されている。そのため日本と比べれば,ある種の枠にはまらない行動に対してははるかに寛容なのだ。
だから,アメリカのように多様な人々が暮らす広大な国だったら,ケンジのような若者はきっと,コンピューターゲーム制作者か家具職人になっていたかもしれない。あるいは,小さなソフトウェア会社を起こしていたかもしれない。あるいは,ミュージックビデオを編集していたかもしれないし,ブログを書いていたかもしれない。
マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.38-39
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