日本人の記者たちは,取材対象である政治家や官僚とのあいだに,驚くほど親密な関係を築きあげる。閣僚や有力な政策決定者の取材を担当する記者たちは,毎朝,その人物の自宅前に詰めかけて,仕事に出かけるその人にあいさつをし,夜も同じように,その人が支援者や同僚たちとの宴会から帰ってくるのを待つ。これは一般に「夜討ち朝駆け」と呼ばれる習慣だが,夜討ちのときには,取材対象である人物が記者たちを家に招き入れてビールをふるまい,「オフレコ」の話をしてくれることがある。ある夜,私は豪腕で知られた当時の内閣官房長官,野中広務の官舎で,厳寒に並んだ靴を数えてみた。20足以上あった。記者たちは大挙して居間に上がりこみ,あるいは冷蔵庫にビールを取りにいった。この夜に何か重大な発言があったとしても,翌日の朝刊には何も載らないのがふつうだ。本来ジャーナリストは独立した分析者であるべきだ。だが日本では,取材対象との関係がそのように親密になりすぎ,やがてはその人物の陰の相談相手あるいは手下のようになってしまうのだ。日本には,公共の利益を守るために日夜戦いつづける独立した監視役はほとんどいない。
マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.177-178
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