日本はひたすら科学技術を習得し,近代化を推し進め,列強に追いつこうとしたが,そうやって西洋から拝借した技術や思想の基礎となっている哲学的,あるいは宗教的な部分すなわち個人の確立,探求,冒険といった部分には目を向けなかった。日本は100年のあいだに,外国からテクノロジーを輸入し,模倣する名人となったが,他の文化がそのような進歩を育むために頼みとしてきた哲学的な手法はいっさい無視した。日本人は,師匠の作ったものをそっくり模倣することが,新しい技術を習得する最も効率的な方法であることを知っていた。そうしてルノーやオースティンの自動車を模倣して,トヨタやニッサンの車をつくり,「リバース・エンジニアリング(他社の製品を分解して調べ,自社製品に応用する方法)」によって海外のエレクトロニクス部品を模倣して,最初はトランジスタ・ラジオを作り,のちにはテレビ市場に進出した。同様に,外国の宗教や経済システムなども部分的に取りいれたが,そのとき,個人に力をあたえる恐れのあるイデオロギーは切り捨てた。だからカントやヘーゲルの思想は日本にはほとんど入ってこなかった。
ゆえに,封建制から工業化,戦争,そして復興までを,新幹線に乗って,恐ろしいほどのスピードでいっきに突っ走ってしまった日本は,じつのところ,その間一度も西洋の「啓蒙思想」を経験していない。つまり,国家から独立した個人の力,社会から独立した自己,集団の感情から独立した個人の良心の重要性,といった考え方は,一度も入ってこなかったのである。
マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.190
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