ワールドカップ開催は両国にとって,新サッカー場の建設その他,さまざまな公共事業に何百万ドルも費やす口実となった。しかし,韓国人は,インフラ整備のみならず,ワールドカップの人間的な側面にも力を注いだようである。ソウルを訪れた外国人にとって嬉しいことに,韓国国民はさまざまな機会を設け,世界各地からやってきた大勢のサッカーファンと交流し,ともにワールドカップの開催を祝福した。さらに,大がかりな応援団を派遣できなかった国のために,わざわざ韓国人で応援団を結成した。
いっぽう日本国民は,たえず外国人がおよぼすかもしれない危険について警告されていた。外国から来るサッカーファンはみんな,酒に酔って大喧嘩をする「フーリガン」であるかのように伝えられていた。新聞は繰りかえし,ヨーロッパのサッカーファンは凶暴だから気をつけるようにと露骨な警告を発していた。警備の警察官たちは,路上に10人以上の集団ができていたら解散させるよう指示を受けていた。韓国では,世界中からやってきた観光客を両手を広げて大歓迎したのに対して,日本では,ワールドカップの試合が予定されていた地方の宿屋,ホテル,レストランは外国人観光客を受け容れるどころか,一時的に店じまいをしていた。犯罪や暴力に巻きこまれるのを恐れてのことだったが,じっさいにはそんな事件は起きなかった。
マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.321
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