日本は政治難民に対してもひじょうに冷淡だ。2005年1月,日本は,UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の難民認定を完全に無視して,トルコのクルド系難民とその成人した息子をトルコに強制送還した。それ以前にも日本は,本国に帰れば危険であることがわかっていたアフガニスタン難民を強制退去させている。こうした日本の姿勢についてUNHCRは「かつてないこと」で「日本が行っている海外の難民や災害被災者への人道的な支援とは」「著しい対照をなしている」と指摘している。
日本の移民政策の決定基準は公正さでなくDNAである。ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の事件がそのことを証明している。ペルーで汚職容疑がかけられていたフジモリは2000年,東京に逃亡したが,日本の入管当局に逮捕されるどころか,大歓迎された。すぐさま日本国籍を認められ,さらに法務省がペルーへの引渡しを拒否した。フジモリは1938年にペルーのリマで生まれたが,そのとき日本国民であった両親が日本大使館に誕生を届け出ていたからである。
マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.389
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