こうした番組がブームになるたびに,そのインチキ性やヤラセを指弾する声は,科学者や良識ある人々から繰り返し発せられています。そのたびに,こうした番組作りの側がなんといって反論してきたのか?
「これはバラエティ番組であって,エンターテイメントとして楽しんでほしい(大意)」というコメントを何度聞かされたことかわかりません。こうしたオカルト番組のゲストにさりげなくお笑いタレントを起用しているのは,エンターテイメントという言い逃れをやりやすくするためだと聞いたことがあります。
さらに,最近のスピリチュアル批判を受けての反論では,「占いや霊視はトークのきっかけであって,この番組の本質は人生相談なのである」という新しいパターンもありました。根拠のない占いやヤラセの霊視を問題にしているのに,番組の本質は違うところにあると言って論点をずらすのは,エンターテイメントと言い逃れるのと同じ構図です。いわば,レストランでスープに虫が入っているじゃないか,という指摘に対して,「スープは食事の本質ではなく,メインディッシュを見てほしい」と言っているのと同じです。
ただ,こうした言い訳も見方によっては成り立つのかもしれません。子ども向け番組に出てくる犬が本当に言葉をしゃべるわけではありませんし,おしりを齧るあんなに巨大な虫が本当にいるわけでもありません。すべて虚構を前提として楽しむものであれば,それを楽しめないのは野暮というものです。
だとすればなおさら,『あるある大事典2』でも,この姿勢を貫徹してほしかった。これは今でも心からそう思っています。この番組は情報“バラエティ”番組であって,エンターテイメントとして楽しんでいただきたい。少々の捏造はよくあることです。と,言い切っていただいた方が,長期的にはどれだけメディアリテラシー向上に資することになったか,はかり知れません。
菊池 聡 (2008). 「自分だまし」の心理学 詳伝社 p.192-193
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