たいていの現代人は,20世紀になるまで人はあまり体を洗わなかったと知っていて,この本を書いている間にいちばんよく訊かれた質問はこうだ。「でも,その人たち,におったんじゃない?」みんなほとんど不快な顔を見せるまでもなく訊いてきた。聖ベルナルドゥス(12世紀フランスの神学者)が述べているように,全員がくさいところでは,誰もにおわない。おたがいの体臭の大海のなかを,私たちの先祖は泳いでいて,日々の汗の乾いたにおいに慣れていた。体臭は,料理やバラの花,ゴミや松林,堆肥のにおいと同じように,その人たちの世界を成すものだった。20年前は,飛行機やレストラン,ホテルの部屋やたいていの屋内の公の場に,タバコの煙が厚く立ちこめていたけれども,私たちはほとんど気づきもしなかった。いまそういった場所からはまず煙はなくなり,私たちは,誰かが喫煙していた部屋に入ると,抵抗して身をすくませる。嗅覚は適応するものでもあり,教唆するものでもある。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.6
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