<カラカラ帝浴場>(216〜17年)と<ディオクレティアヌス帝浴場>(298〜306年)の2大浴場は,ローマの驚異として知られ,どちらの最後の名残も,全盛期の偉容をいまに伝えている。16世紀に教皇パウルス3世が,自分のファルネーゼ宮殿を飾ろうと<カラカラ帝浴場>を探したとき,大理石やメダル,ブロンズ彫刻,レリーフといった収穫品で博物館ができるほどだった(ファルネーゼ・コレクションは,現在はほとんどがナポリ国立考古学博物館に収蔵されている)。20世紀になって,遺跡のうち温浴室だけを利用して,ヴェルディのオペラ『アイーダ』が上演されたが,歌手やオーケストラと観客はもとより,戦車,馬,ラクダなどを収容できるだけの規模があった。さらに圧巻なのはディオクレティアヌスの《テルマエ》で,3000人の客が湯浴みできたと見積もられている。1561年にはミケランジェロが水浴室を改築し,サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の身廊部にした。ディオクレティアヌスの《テルマエ》の残りの部分は,現在はローマ国立博物館とサン・ベルナルド礼拝堂になっている。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.36-37
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