しかし,ユダヤ人地区やこのうえなく設備の整った修道院をはるかにしのぐ,中世初期でいちばん清潔な地域はといえば,アラブ人(ムーア人)のいたイベリア半島だ。キリストの教えとは違い,清潔でいることはイスラム教徒にとって宗教上の重要な要求で,9世紀のある著述家は,アンダルシア(イベリア半島南部)のアラブ人を「この世でいちばん清潔な人々」と記している。イベリア半島北部のキリスト教徒が「体も衣服も洗わず,衣服にいたってはぼろぼろになって破れ落ちるまで脱がない」でいたのにたいし,南部のアラブ人地域のある貧しい男は,最後の1枚になった硬貨を,食べ物ではなく石鹸を買うのに使ったという。アラブのイベリア半島は,プールの,噴水の,《ハマーム》の水で輝いていた。どんな界隈にも共同浴場があった。1236年にキリスト教徒がコルドバを再奪回したとき,そこには300の《ハマーム》があったほか,個人宅には温水浴や冷水浴用の浴室があった。
ムーア人のイベリア半島では,男性と女性はかならず別々に入浴した。たとえばアラゴンのテルエルにある町の浴場が典型的なパターンで,週に3日は男性の日とされ,女性は2日で,金曜日にはユダヤ教徒とイスラム教徒の男女に,それぞれ別の時間帯があてがわれていた。入浴料は安く,子どもと奴隷は無料で風呂に入れた。
こういった入浴習慣は健康的だし進歩的に思えるが,当時のキリスト教徒にとっては頽廃のしるしで,いまいましいものだった。ローマの時代,イベリア半島の白人たちが自分たちの公共の熱い風呂を享受していた時代からは,ずいぶん時間が経っていた。浴場を語らせれば桂冠を受けるにふさわしい詩人のマルティアリスは,ヒスパニア(ローマ統治下のイベリア半島)に生まれ,晩年は故郷に戻って,アラゴンの小さな農場で過ごした。マルティアリスが浴場なしに暮らすなど想像できない。しかし5世紀に西ゴート族がヒスパニアを征服すると,この民族は,湯に浸かってのんびりするのは屈強な男たちを軟弱にする,というおなじみの疑いを抱き,浴場を破壊して回った。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.68-69
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