1636年に『レヴァントへの航海』を刊行したイングランド人のヘンリー・ブラントも,トルコ人の衛生水準の高さに同じような反応を示している。ブラントによれば,オスマン・トルコが町を占拠して最初にするのは共同浴場を建てることで,浴場は助成金で運営されるので,どんな男女も2ペンス以下で体を洗える。ブラントは,ふつうではないこととして,「週に二度三度湯引く者は汚しとぞ思はるるなり」と書いている。排尿その他の「わざとならぬ穢れごと」のあとは,このとんでもなく変わった人たちは性器を洗う。犬が手に触れれば手を洗い,祈りの前には顔と両手を洗うほか,頭と性器を洗うこともある。ラウヴルフと同じように,ブラントもトルコ人の清潔さを理屈で説明しようとし,「暑き地にて粗悪なるものを食らふ衆集」には病気予防の必用があるのだとしている。もっと穏やかな気候の国の人たちは,ブラントの示唆によれば,さほど洗う必要がない。ブラントが,牛肉たっぷりのイングランドの食習慣が,ラム肉と米とヨーグルトのトルコの食事ほど「粗悪なるもの」ではないと考えていたかどうかは定かではない。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.99-101
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