貧しい人たちには全身をよく洗う手立てがなかったのだが,宮廷の侍従医たちは貴族がそうするのを禁じていた。フランス一報酬の高い医者たちの意見によれば,体の分泌物は体表に保護膜を作るとされ,王や王妃はいちばん貧しい小作農と同じくらいめったに風呂に入らなかった。1601年にルイ王太子(のちのルイ13世)が生まれたとき,侍従医はこの子が体を洗った記録をいちいちつけているのだが,これが長くない。生後6週で,王太子は頭のマッサージを受ける。7週で,皮膚炎だらけになった頭にバターとアーモンド油を擦りこまれる。王太子の髪の毛には,生後9ヶ月にならないと櫛が入らない。5歳になって初めて,ぬるい湯で足を洗う。産湯を使ったのは,すっかり大きくなって7歳にもなろうとしているときだ。「初めてのご入浴。妃殿下[ルイ王太子の妹]とご一緒にお浸かりになる」。
大人の王族も似たり寄ったりだ。ルイ14世の場合,起きると外科医長と侍従医長と看護人がいっしょに居室に入る。サン=シモン公によれば,看護人が王に接吻をし,医者たちが「陛下の下着をこすり,替えることもよくあった。陛下が決まって大いに汗をかかれたからである」。近侍のひとりが王の両手にワインを少し振りかけると,王はそれで口をゆすぎ,それから顔を拭く。これで身支度は終わりだ。べつに体を動かすことを軽蔑している君主の話ではない。朝の祈りを終えると,ルイ14世はじつに熱心に飛び跳ねたり,フェンシングをしたり,踊ったり,軍事教練に勤しんだりし,たっぷり汗をかいて居室に戻ってきていたのだ。それでもこの汗まみれの君主は体を洗わなかった。その代わりに服を着替えた。仕立て上がりの衣装を身に着け,洗い立ての下着も着けたが,それが王自身にとっても他の人々にとっても「清潔」を意味していたのだ。ルイ14世の弟のフィリップ公はとりわけ清潔だと思われていた。1日に3度下着を替えたからだ。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.101-102
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