清潔と健康が重なりあうという新しい世界を,ここ数世紀にも増して多くの科学者たちが切り拓こうとした結果,19世紀前半には,衛生についてのさまざまな所見や方法論があふれることになった。中世以来支配的だった感染の学説,つまり瘴気論は,病の気が悪臭や淀んだ空気や腐敗物を経由して広がるというものだった。すると,清潔にしていれば病の気の広がりは限られることになるが,そこへ来て清潔を保っておくべき新たな理由が加わった。1830年代初めに,皮膚には呼吸機能があるという新しい考え方が,大西洋の両側で科学者たちの注目を集めたのだ。もし体表の孔が垢で塞がっていたら,この新説によれば,二酸化炭素が皮膚から外に排出されなくなり,悲惨な結果を招くのは動物実験も示している。毛を剃ってタールを塗った馬は,だんだん窒息してゆく。膠をタールに混ぜておけば,死ぬのが早まる。ニスを塗られたかわいそうな動物もおり,やはり死んだ。
現代の私たちには,そういう死因が皮膚呼吸よりも体温調節ができなくなったせいだと分かっているが,動物実験を行った19世紀の生理学者たちは,体表の孔を湯できれいにしておく習慣が,健康,ひいては生命維持のために重要なのだと衛生士たちに確信させた。フランシス・ベイコンが17世紀に入浴したときは,体表の孔ができるかぎりしっかり閉じているようにし,皮膚から体に入ってくる水を最小に抑えようと,並々ならぬ予防策を講じたものだった。いまや医者たちは逆のことを薦めるのに懸命だ。医者たちにとって,垢だらけの肌——小作農などはいまだにそれが体を保護し強靭にすると思っていた——は体の正常な働きを妨げるものになった。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.158-159
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