つまりアメリカが衛生先進国になったのは,ひとつの決定的な理由があったからではなく,むしろいくつかの理由がうまく重なったからなのだ。まず,アメリカ人は新しいものを生み出す志向を誇っていた,という理由がある。それはまさに新世界にふさわしい民主主義というものの大発明から,使い勝手の良いりんごの芯抜き器を生み出すようないかにもアメリカらしい創案にまで及ぶ。念入りに体を清潔にすることと,たとえば湯の出る水道管や化粧石鹸といった清潔になる手だて,さらには衛生の利点に気づかせる宣伝さえも,アメリカが新しく生み出したものだ。次に,もともと階級制度のないアメリカの人々は,どの程度礼儀正しいかをはっきりさせたり,どういうステイタスにあるかを示したりするのに,誰にも不公平にならない方法を探していた,という理由がある。それが,だんだん清潔がほとんどのアメリカ人の手の届くものになってくると,どれくらい身ぎれいかがいい判断基準になるとわかった。さらに,南北戦争のあいだ,衛生的な環境を保つことで病気の広がりをうまく抑えた結果,アメリカ人は清潔でいることを,進んでいて社会人として恥ずかしくないことと見なすようになった,という理由がある。こうして,信心深いことや愛国的なことを好むアメリカ人のあいだでは,19世紀終盤の数十年までには,清潔と敬虔が国民らしさと固く結びつくようになっていったのだ。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.192-193
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