配管設備と取り付け用の商品の普及にともなって,人々の期待や感じ方も変わってきた。体を洗っておらずにおう人たちは,誰もが覚えているかぎりでは長らく風景の目立たない一部だったのだが,だんだん不快に思われるようになった。エミリー・ソーンウェルが驚くべき早さでこの意見を述べているのは,1859年刊行の著書『完璧な上品を目指す淑女の手引き』のなかだ。「いまや,下着は毎日変えるけれども,お風呂に入ったことがなかったり,年に1度か2度しか体中を洗うことがなかったりする上流階級の人々を,私達はどう思うでしょう?」とソーンウェルは読者に問いかける。「もちろん,はっきり申すなら,そういった人たちは,どうあれじつに不潔な貴族以外の何者でもないのです」。
そういった人たちは,不潔なばかりか,ひどくにおった。運動で発汗が促されると,「そういった人たちは,ラヴェンダー水やベルガモットでは隠しきれないなにかを発しているのです」。体臭の強さにもいろいろあるとソーンウェルは認めてはいるが,あまり体を洗わない人はみんな不快なにおいを発するようになり,これは体から出た体液が,石鹸と水を使っていなければ「腐ったようなにおい」になるからだ。ここで重要なのは,ソーンウェルが健康目的の入浴については触れていないことだ。その代わり,この手引きの読者がアドヴァイスを受けるのは,どうやって「人に嫌われる」ことがないようにするかだ。この恐ろしい言葉は,20世紀の石鹸やデオドラント剤の宣伝にずっと使われ続けることになる。人に嫌われないかという心配は,ヨーロッパ人がのちにひどくアメリカ的だと見なすようになるものだが,すみずみまで清潔にするのが可能になってからでないと表面化してこない問題だろう。さらにソーンウェルはなにより恐ろしい警告を発する。体臭でまわりに迷惑をかけている人は,自分ではそうと気づいていない場合が多い,というのだ。この事実は「なにをおいても,淑女たる皆さんが気をつけねばならないことです」。自分では気づかないまま人に嫌われているかもしれないということは,不安を駆り立て,この不安は来るべき世紀に繰り返し広告業者に利用されることになる。石鹸を宣伝にしっかり結びつけることは,20世紀前半の衛生の大きなテーマのひとつになり,清潔のハードルを前代未聞の高さまで引き上げることになる。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.215-218
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