化粧石鹸と広告はいっしょに進化した。どちらも何世紀も前からあることはあったのだが,19世紀の終わりには巨大なビジネスとして経済の本流をなしていた。石鹸の場合は,細菌学という新しい学問のおかげで広まったのだが,病原菌の発見ということが一般消費者にまで浸透するのには何十年もかかった。じっさい,衛生学者や公衆衛生の専門家さえ,病気は腐っている物質や悪臭から広がるという昔ながらの考えに,驚くほどしがみついたのだ。ウィーンの医師イグナーツ・ゼンメルヴァイスは,分娩室に入る医師と研修医は妊婦を扱う前に手を洗うべきだと主張したが,おかげで産褥感染症による死亡が劇的に減少したにもかかわらず,物笑いの種になった。1865年にゼンメルヴァイスが死去したときも,まだこの単純だが画期的な意見は軽んじられていた。ゼンメルヴァイス,それにグラスゴーのジョゼフ・リスター[19世紀後半に外科手術用具の消毒を提唱]といった先駆者たちがやっと科学者たちに真剣に受け取ってもらえるのは,1870年代と80年代にドイツでローベルト・コッホが,フランスではルイ・パストゥールが,それぞれ細菌学を発展させてからになる。それでもまだ公衆衛生担当官や訪問看護師は,古い瘴気説を説き続けており,生ゴミや排水口や換気のことばかり気にしていた。20世紀のはじめまでには,細菌理論や接触感染理論が大勢を占めるようになった。これは革命的な概念だったのだが,サルファ剤や抗生物質が開発されるようになるのは,やっと1930年代や40年代になってからで,それまでは恐ろしい見通しでしかなかった。細菌と戦うほぼ唯一の方法といえば,洗い落とすことだった。体をきれいにする習慣がどんどん広まるようになり,人々が水だけでなく石鹸も使うようになりだすと,大西洋の両側の石鹸製造業者たちは,植物性のオイルから値段が手ごろで肌にやさしい製品を作り出そうと躍起になった。
キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.228-229
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