名前をつけずに社会問題を論じるのは——まして統計的に分析するのは——ほとんど不可能だ。そして名前は重要である。注意深く選ばれた名前は,問題について特定の印象を与えることがあるからだ。
例として「ビンジ・ドリンキング」を考えてみればいい。1990年代半ばまでは,米国で人々が「ビンジ・ドリンキング」と言うときは普通,長期間にわたる抑えの利かない飲酒のことを指していた。「失われた週末」や「リービング・ラスベガス」のような映画で描かれたような自滅的な状態だ。ビンジ・ドリンキングの暗いイメージが無数の大酒飲みにこう言い張らせたのである。「私はアルコール依存症ではない」。ところがその後,大学のキャンパスでの飲酒に懸念を抱くアルコール研究者たちが,違う種類の振る舞いに注目を集めるためにこの用語を乗っ取ってしまった。この研究者たちが用いるときビンジ・ドリンキングという用語は,学生が1階に数杯(男性なら5杯,女性なら4杯)飲むことを指していた。これは,だれかが友人とバーで5時間過ごし,1時間あたり1杯消費すれば(このペースでは血中アルコール濃度は,車の運転が許容される法律上の限界を上回らないかもしれないが),「ビンジ・ドリンキング」をしていると表現できるということだ。つまり,かなり広くおこなわれていて,何の問題も引き起こさないかもしれない合法的な振る舞いの呼び名として,もっとも厄介で破滅的な種類のアルコール依存症と長らく関連づけられてきた言葉が用いられたのである。
呼び名をうまく選べば,強い感情的反応を呼び起こし,統計を,とくに気がかりなように見せることができる。
ジョエル・ベスト 林 大(訳) (2011). あやしい統計フィールドガイド 白楊社 pp.67-68
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