そのうえ社会もやりたい放題の無節制と抑制のあいだを行ったり来たりする傾向がある。たとえば19世紀初め,アメリカ人は大酒を飲んでいたから,国家の象徴は白頭ワシではなく酔っ払いが見る幻覚のピンクの象でもよかったくらいだ。しかしその後国家的な反動が起こって,アメリカ人の酒量は激減する。犯罪や10代の妊娠その他の無秩序の兆候も増えたり減ったりするし,エリオット・スピッツァーやジョン・エドワーズ,タイガー・ウッズと同じような性的スキャンダルは歴史上いくらでも見られる。社会学者のゲイリー・アラン・ファインは,「理想的な時代があるという考え方は誤解につながる。昔は女優が下着をつけていないことを誇らしげに口にしたりはしなかっただろうが,人種差別的発言をしたコメディアンのマイケル・リチャーズや口の悪いラジオ番組のホスト,ドン・イームズが浴びた激しい避難は,いくらコール・ポーターが『エニシング・ゴーズ,何でもありさ』と歌っても,わたしたちは何でもありだとは思っていないことを示している」と述べている。
ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.16-17
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