アーノルド・ローベルの童話に出てくる大真面目で愛らしい「がまくんとかえるくん」も,自制心がどれほどあてにならないかを身にしみて悟った。『クッキー』というお話のなかで,がまくんとかえるくんは焼きたてのクッキーを食べ始めてとまらなくなってしまう。そこでかえるくんがクッキーを箱に入れて紐で縛り,ハシゴを使って高いところにあげようとする。ところがそのたびに,そんなことをしたって無駄だとがまくんが言う。マリリン・モンローに頼まれたトム・イーウェルのように,簡単に箱を下ろすことができるからだ。とうとう,かえるくんはクッキーを持ちだして小鳥たちにやってしまう。小鳥たちは喜んでクッキーを食べつくす。
この物語は,プリコミットメントには拘束力がなくてはならないことを教えている。プリコミットメントがほんとうに効果的であるためには,ほんものの強制力が必要だ。だが,その強制力は自分で自分に科すものだ。ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインはこのことをよく理解していた。彼は第1次世界対戦にオーストリア軍兵士として従軍し,恐ろしい戦争体験をしたあと,2度と以前のような安楽で快適な暮らしに戻るまいと決意する。哲学者ウィトゲンシュタインの父親は事業家で,戦争前に有り金をすべてアメリカ国債に注ぎ込んでいた。これは驚くべき慧眼で,おかげで息子はヨーロッパ一の金持ちの1人になり,フロイトなどほかの裕福だったウィーン人のように貧乏を経験せずにすんだ。だがウィトゲンシュタインはその金を全部捨てると決意し,反対を押し切って兄弟姉妹たちにすべてを譲る法的手続きを取ると主張した。姉のヘルミーネは書いている。「彼はもはやどんなかたちの財産も自分にはないということを,何百回も確認したがりました」。
ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.60-61
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