自己コントロールにとってはスピードが最大の敵なのに,技術の進歩であらゆることのスピードが上がり,抑制がとても難しくなった。怒りを鎮めるために10数える,というのは昔ながらのやり方だし,熟慮が必要な重大な事柄の場合には,規則で待機期間を設ける(銃の購入や妊娠中絶のように)こともある。
ところが技術進歩のおかげで暮らしは一方的に加速した。大西洋を数時間を飛び越えたり,微生物学の最新の成果を数秒で知ることができるのはすばらしい。だが加速化は自制という前線では良いニュースではない。衝動から行動まで,誘いから決断までの時間がほとんどなくなって,どうしても熟慮よりも衝動,将来よりも現在が優位に立つようになった。スピードは熟慮を妨げ,楽しみを後回しにする習慣が薄れて,考え直すチャンスがなくなる。何でも手軽になれば,すぐに欲求を満たしたくなる。食べたいと思えばいつでもフライドチキンや熱々のポプコーンが手に入るから,いくらカロリーが高くても我慢できない。鶏の羽根をむしり,衣をつけて揚げて,台所まわりの油汚れを掃除するという手間があれば,そして考え直す余裕があれば,胴回りやコレステロールへの影響を思って我慢できただろうに。
ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.74-75
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